神社ギャラリー
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神輿渡御
羽黒神社・倉敷市
羽黒神社夏祭
玉島商業高校の野球部員が新町で神輿を担ぐ。仲買町の菊池酒造へ行き備後屋を通り新町の港まで担ぐ。

海上渡御
羽黒神社・倉敷市
羽黒神社の夏祭
クレーンで船に乗せて沖合に出る神輿。源平大橋の下まで行き、菅原道真の霊を慰めると共に海上安全・海運繫栄を祈願する。

羽黒神社社殿
羽黒神社・倉敷市
羽黒神社は、万治元年(1658)備中松山城主、水谷伊勢守勝隆が玉島地方の干拓を行う際に、出羽国羽黒山の出羽神社を勧請し建立した。徳川時代、瀬戸内第1の商港として繁栄した玉島に居住する人々や北前船で港に出入りした商人達に信仰を集め、2代目藩主水谷勝宗により寛文5年(1665)に社殿が改築された。
現在の本殿は弘化2年(1845)、拝殿は嘉永4年(1852)に再建されたものである。
また、昭和45年から昭和48年にかけて大東亜戦争時に掘られた防空壕処理の為、羽黒神社会館を建設し、その屋上が境内として拡張されている。
本殿の右側は元禄5年(1692)備中松山城主水谷氏から寄進された六角石燈籠で東側にもある。本殿まわりには七福神がある。

羽黒神社東参道
羽黒神社・倉敷市
羽黒神社東参道
右側に青龍寺、左側に水谷公記念館がある。
石段の最初の大玉垣に柚木梶雄(西爽亭の柚木家)がある。

長尾神社参道
長尾神社・倉敷市
長尾の地名は、治暦4年(1068年)の大嘗会の歌に、「遥かにぞいま行末を思ふべきながをの村のながきためしに」(藤原経衡)とあるように、大変古い。
平安時代、後三条天皇即位の大嘗会に、長尾大内谷の田が神田(主基田)として選定されたときの歌である。主基田の利用は、大嘗祭一度きりであり、その後は普通の田に戻るのであるが、それではもったいないという事で、それ以来、その田で出来た作物は、氏神社八幡宮(長尾神社)の秋の祭典に供し、大祭日、75膳の奉供の神饌とされた。この慣習は、平成9年に神田を県道が貫通して埋め立てられるまで、代々続いた。

晴明神社
・浅口市
阿部神社は、安倍晴明がかつて居住したとされる阿部山の山頂付近に鎮座し、晴明神社、晴明大権現とも呼ばれています。安倍晴明の屋敷跡があったとされる地に鎮座し、境内には社殿、安倍晴明屋敷跡、晴明大権現の祠などがあります。昭和17年に阿部山を開墾するために入植した人々によって建立されました。
安倍晴明は、平安時代中期に活躍した陰陽師で、天文道を学び伝え、天皇をはじめ諸家の陰陽道諸祭や占に従事し、名声がきわめて高かったといわれています。浅口市内には、晴明ゆかりの伝説地が多く残っています。
阿部山は、晴明が天文観測のため居を構えたと伝えられており、その名も晴明の「あべ」に由来すると言われています。この地は大気のゆらぎが少なく天文観測に適しているといわれています。東隣の竹林寺山には、1960年に国営の天文台が建っています。

社殿
天石門別保布羅神社・倉敷市
天石門別保布羅神社は倉敷市広江地区の氏神であり、旧郷社。
ご祭神は天手力雄命を主祭神とし、摂社の石洞神社には後鳥羽上皇を祀っている。

倉敷千歳楽
阿智神社・倉敷市
阿智神社「秋季例大祭」と同時開催の「倉敷秋祭り」で何度も中に舞う倉敷千歳楽。於:アイビースクエア。

みたまふり
阿智神社・倉敷市
阿智神社「秋季例大祭」で行われた「お旅所」(美観地区入口)での「神魂振り(みたまふり)」。
奉迎者は、神輿の下をくぐり、お陰を受ける。

三女神舟巡幸
阿智神社・倉敷市
阿智神社「秋季例大祭」で行われた「三女神舟巡幸」。美観地区 前神橋→今橋。
羽黒神社の夏祭
日中の巡回を終え拝殿前で「さした」をする千歳楽。最後に境内で菓子撒きがある。